「デスカフェ」とは?生きている限り必ず死はやってくる

老活

死について語り合うデスカフェ

いつかかならずやってくる死について、カジュアルに話し合うことができる「デスカフェ」が日本国内に増えてきている様です。

健康な暮らしを送っていると、死について考えることは少なく、「どのような最期を迎えたいか」といわれても、あまりピンとこないですよね。

でも、死はいつ訪れるかわかりません。

元気なうちに死生観をもっておくことが大切だと思います。

死について語らう機会の少ない日本において、少しでも安心して語れるようにと、テーマを設定したり、小道具を使用しての語らいの場もあるようです。

エンディングノートをすでに記入している方がいれば、それをもっていくのもいいかもしれないですね。

結論を出す場ではなく、お互いの考えや意見を尊重しあう会です。

色々な人と死について語り合うことにより、自分の考え方に変化が生まれるかもしれません。

死生観とは

死生観といわれても具体的にどのようなことかわからないですよね。

生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。

「尊厳死について」「最期を迎える場所について」「死ぬ前にやりたいこと」等、家族に伝えておいた方がいいようなことも死生観に含まれると思います。

例えば、事故や病気で生死をさまよう経験をされたとか、身近な人がなくなったときに何かしら心に響くものがありますよね。

そのことによって、自分の死生観が変わったり明確になったりすると思うんです。

 

忙しい毎日の中で「死」について考える時間は、特に若い人や健康な人にはないかもしれません。

日常そういったことを話すと驚かれますしね。

あえて死について語り合える「デスカフェ」に参加することで、他の方の意見や考えを聞いて自分の死生観もかたまってくるかもしれません。



自分の死生観の変化

私自身もこのブログをはじめてから、色々なことを知り死生観が少しずつ変わってきた気がします。

最初は、お墓なんて戒名なんてお葬式なんて、子供に負担をかけるからいらないと思っていました。

でも、親が亡くなった時を考えると自分の心の中で区切りがつけられなくなるのではないか、悲しみをどこに持っていけばいいのか等と悩むことが多くなるのではないかと思いました。

お葬式は亡くなった人ではなく、生きている人のためにするものなのかもしれません。

祖父母が亡くなった時、友人が亡くなった時、どのように思ったのか思い出すことで残された人のためにも何か区切りがつくためのセレモニーが必要かもしれないと思いはじめています。

また、「生きているうちにやりたいこと」を考えたことにより目標ができて、それに向かって努力することが生活の張り合いとなってきている気がします。



まとめ

死をタブー視している傾向がある日本国内ではそういったことを口にすると奇異な目でみられたり、驚かれたりすることが多いと思います。

デスカフェの様な場所で、死について語り合うことができればこれから生きていくために必要なことも自然に考えて日々を過ごしていけそうな気がします。

実際に、デスカフェで語ってみたら、自分ってこう思っていたのかという気づきにもつながりそうです。

生きている限りは必ず死に向かっています。

もしも後悔を少しでもなくして最期を迎えられるのであれば「すぐに実現できるもの」を実行していけば理想の死を迎えられるかもしれません。

皆さんもこれを機会に自分にとって本当に大切にしたいものが何なのか、今後どのように生きるか、子供に何を残したいか、それには何を実行すればいいのか等を考える時間を持ってみませんか。

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